最寄りのスタンドで給油して、ファミマでバナナ買って、これでジムニーとの生活も終わりだ。忙しい1週間になってしまい、この最後の夜は遠回りする気力もなく、仲間を送ったあとは、まっすぐに帰ってきた。明日の夕方に業者に渡す。充分に楽しませてもらった。残念なのは今夜のジムニーを写真に撮らなかったこと。つい失念した。
俳句の会は無事に終わったか知らん。やってみればこれは、おれの俳句芸術への愛を表現する行為に違いなく、その意味では脇目もふらず進行させてもらった。結局のところ、陸上競技に目覚てからは、そういうことになっているのだ。前を見据えてベストを尽くす。それでよい、と。勝手なものだ。
参加者のAさんはぼくの三橋鷹女への恋情を知っていて、これは気恥ずかしかった。だれも読んでいないと思って「鷹女が好きでたまらない、このどうしようもない恋よ、眠れない、なんとかならんか」だったか、そのようなことをこのブログに書いたことが、たしかにあった。
会で紹介した鷹女の句は、
夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり 三橋鷹女
どん、と意思を突きつける感じがよい、というUさんの感想にぼくも同意する。「夏痩」が夏の季語。意はとくに捻りもなく「夏に痩せてしまうと言っても、嫌いなものは嫌いだ」と読めばよい。ぼくが鷹女に惚れるのは、この手の詩はおれには作れないよなあ、という憧れがあるのだろう。どうしても理屈っぽくなってしまうのであって、つらいところだ。
たとえばこの1句を取り上げて、参加者それぞれの読みを披露してもらっても面白いのだろうが、今回は「俳句の始め方」をテーマとし、レクチャーすべきことが多かった。慌ただしい進行には恐縮だった。
Aさん夫妻の自作句を披露していただくのを忘れて、申し訳がない。またの機会にゆっくりお話を伺えると幸いだ。
都外からわざわざ来ていただいた方もあり、そのご足労に報いる(「報いる」は、文語だと「報ゆ」、つまりヤ行の活用になる)ことが出来たか、どうか。いやはや。
やはり今夜も白熱するさいのね庵の座敷なのであって、これは店主の人徳がなす業なのか。今夜初めて店に来たぼくの後輩の若者(ぼくに比べると、ということだが)2人は、圧倒されたかもしれない。懲りずにまた来てほしいものだ。定食は美味かったことだろう。
会の中でうまく紹介できなかった龍太の句は、正しくは、
水澄みて四方に関ある甲斐の国 飯田龍太
だった。四方を「よも」と読む。山に囲まれた山梨の風景。
ほかにも、
砂日傘ちよつと間違へ立ち戻る 波多野爽波
は、ビーチパラソルのことだと分かれば情景が浮かぶ。
一生の楽しきころのソーダ水 富安風生
なら、「ソーダ水」が夏の季語。たとえば、冬なら「セーター」が季語になるし、季語が身近なものだと分かると思う。
妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る 中村草田男
は、「つまだかなしゅんちゅうのじゃりふみてかえる」と読むが、これは、早く家に帰って妻を抱きたいなあ、という男の句。最高。
せつせつと眼まで濡らして髪洗ふ 野澤節子
は、夏に髪を洗う女の情景・心情を読み解きたい。
春は曙そろそろ帰つてくれないか 櫂未知子
これは春の明け方、いい加減帰ってくれないかな、と。
紫陽花や流離にとほき靴の艶 小川軽舟
は、サラリーマンが革靴を見つめている。
なにか参加者の心にひっかかる句がひとつでもあればと名句を用意して紹介したのだった。ほかにもあるが、このあたりで割愛する。要は、俳句とは決して古臭い文芸ではなく、花鳥諷詠のほかにも、生活の場面を瑞々しく詩に昇華することもできるのだ、という感覚をもってもらいたかった。
案外に句作を希望する声も多く、最後の15分ほどは希望者による即興の題詠となった(これを席題という)。題は夏の季語「ソーダ水」。いやあ、即興のセッションは楽しい。こんなこと言ってはなんだが、ブルース・セッションやりたくなった。おれにバンド仲間がいたらと思う。
と、ふざけているから駄作を披露することになる。穴があったら入っていた。それにバンド仲間なら五反田にいる。
さて、もし俳句を真剣にやってみるなら、俳句結社に所属して、その団体の新人賞を目指して奮闘するのが王道のルートだろう。ぼくもがんばってみたいとは常々思っているが、いまは所属なし。しばらくはこの「さいのね俳句会」のホストという重責を糧にして、詩の勉強に励みたい。この会が、初心者にとってのなにかのきっかけになればうれしい。まず歳時記を用意して、それから好きな俳人を見つけるとよい。そして必要に迫られ国語辞書を引く習慣が身につくと、なにかと楽しい。
次回は8月21日。毎月第3金曜日の夜、定例とあいなった。内容は実作中心、句会形式とするつもり。
あれやこれやと手に負え(おへ)ないこともあっ(つ)て、すこしの焦燥感はあるが、空気階段のラジオを聴いて(ききて)慰撫(ゐぶ)されている(ゐる)この深夜。膝を抱える(かかへる)孤独なおじさん(をぢさん)。
題句は会の前に散歩した善福寺公園にて。
俳句をやると意気込むと、まったく写真が撮れない。ひとつのことしかできず、困る。


