朝、高尾山周辺を走って、午後から自宅で仕事をする──。「最寄りの山」と言っても差し支えない高尾山をこんな風に利用したいと前々から思っていて、ようやく実行に移した。高尾山に登るのは今日が初めてだった。
7時過ぎに京王・高尾山口の駅前に車を停め、6号路という沢沿いの道を選んで登り始めると、距離にして約4キロ、50分余りで599メートルの高尾山頂に着いた。案の定、登山者よりはレジャー客の多い、やたらと騒々しい山頂だが、景色はよく、ちょっと茶でも飲みに来るぐらいなら悪くない場所ではある。朝食と仕事の連絡を何件か済ませ、さらに奥の山へと向かう。
初めから高尾山の奥に興味があった。高尾山から東京と神奈川の境の尾根を進み、陣馬山・三頭山などを越えながら40キロほど行くと奥多摩湖に出られる。いつかこのコースを走破してみたいのだが、今日のところは暑すぎるし、午後は自宅で過ごすからちょっとそこまで、小仏城山という高尾山のひとつ隣のピークまで行って引き返した。
ふたたび賑やかな高尾山頂付近を過ぎ、そのまま走って麓まで帰るつもりが、「リフト 12分の空中散歩」という案内の文字が目に入り、珍しい乗り物の誘惑に抗えず、切符を買って乗った。杉などの高木の、葉の茂るあたりを横目にし、その木立の長い幹を見下ろすような視点で斜面を下っていく。脚をぶらぶらさせながら、太古の人類の樹上生活の記憶を、ぼくの遺伝子の中に探すのは爽快だ。また、そうしているとあまり怖くないのだ。場所によってはそれなりに高度もあったのだが。
最後にリフトを使ったために、走行距離は11キロ強。だが高尾山が愉快な場所だということはよくわかった。
この山行は、眼鏡をかけずカメラも持たなかった。不便ではある(裸眼でのリフトの乗り降りなどは恐怖だった)が、普段と違う感覚を存分に味わった。
ジェーン・スーのラジオなんか聴きながら、昼過ぎには自宅に着いた。ぼくが求めていたのはこんな一日に違いない。
今日と9日は原爆忌だ。夜、本棚から手に取ったのは平和博物館を創る会・編の『写真物語 あの日、広島と長崎で』。当時、報道部員として陸軍に従軍した写真家・山端庸介が被爆翌日の長崎の街で撮った写真と、そのほかの貴重な資料がまとめられてある。貴重としか言いようがないのだ。

