上州太田へ、40歳までの個人的な定義が見つかった関越道、20240909

群馬県は太田市までちょっとした出張仕事だった。関越道を北上しながらいい発見があった。

いままで、フリーランス、個人事業主、ひとり社長など、いろいろな肩書を必要に応じて名乗ってきたし、他者からプロと呼ばれることもあるけど、どれもしっくりこない。それらではなくて、ぼくは「フリーター」なのだと定義したらすっきりした。「フリーター」は「フリー・アルバイター」の略。「アルバイト」はなにかと辞書を引くと〈学業や本業のかたわらに賃仕事をすること〉とある(大辞林より)。まさにこれだ。

つねづね、四十までは勉強だと思って日々を過ごしている。そうすると同年代の友人や知人の近況を聞いて、多少不安になったりするわけだが、仕方がない。いまさら引き返せる現在地ではない。中央線の繁華街で酒に溺れ、放蕩にふけっていた時期もたしかにあった。千葉の海辺の家でも、いまとなっては信じられない量のウイスキーを飲んだ。酩酊して頭を打って死ねたらなあと真剣に願っていた。馬鹿馬鹿しいし恥ずかしいことだが、実際そうだった。きっかけは忘れたけど、真面目に生きることにした。たぶん酔っていることに身体の方が疲れたのだと思う。

そして勉強が始まった。なんでも酒のせいにするのはよくないと思うけど、ぼくがどれだけ酒で頭を溶かしてしまったかと、それなりに絶望した。もともと出来の悪い頭なのに、だ。酒との付き合い方はいろいろ試した。日が暮れてから飲むとか、週末だけ飲むとか、0時以降は飲まないとか。余談だが、0時以降は飲まない、が一番つらい方法だった。23時45分に注ぐ最後の一杯が、どうしようもなく侘しいのだ。結局は願掛けのための「酒断ち」に落ち着いて現在に至る。

大袈裟にいえば、個人的な「生の肯定」の革命が起きて、革命は成功して、体制が変わった。いまではすっかり「知らずに死ねるか」だったり、そもそも「無知の知」だったり、そんなことが諸々の動機になっている。スポーツに打ち込んでいるのも、学生のひとつの側面と考えれば合点がいく。肉体的に変化して、過去を忘れたいという気持ちも強いだろう。

念のため補足しておくと、たしかにぼくはフリー・アルバイターではあるが、個別の案件はいつも真剣に対応している。当たり前だが、真面目にバイトするフリーターもいれば、そうではないフリーターもいる。ぼくは前者。大局的にみれば本業ではないという気がしているが、食い扶持を得るのは大変なことだ。


太田市のみなさんと会うのはコロナ禍を挟んでずいぶん久しぶりだった。だいたい5年ぶりくらいか。温かく迎えていただいて感謝である。

土地の野菜と果物をたくさん買って帰ってきた。これからは定期的に訪ねられるといい。日光への宿場町だった旧市街地は歩いて面白いし、山に入っても見所は多い。また冬の景色がいいのだ。空っ風がとんでもなく冷たいけど。

Iさんにはお土産に冷凍のモツ焼きを頂いた。さっそく夕飯に食べた。肉さえさっぱり食べないのにまさかモツを食べるとは。Iさんはおっしゃった。「コミヤさん、これねえ、うまいんだよ。酒飲んじゃうかもよ」。「それは困りますねえ」。はたしてどうか。たしかに抜群に美味かった。ぼくはモツにはうるさいのだ。だいたい酒場の善し悪しはモツで測っていた。それで酒を飲みたくなったか──いや、ならなかった。いい筋肉になりそうだと思っただけだ。食事の前に1時間半のトレーニングをしていたのだ。というか、モツを食べるならトレーニングしておくか、と考えたのだった。いやはや本当に美味かった。


ある日は酒に溺れ、ある日は勉強に目覚める、フリーター・学生・運動部員。勝手なものである。とにかく申し訳がない。

この土地は夕方になると積乱雲が発達する。帰りの関越道でこの雲の下に入って、ものすごい雨にやられた。
東京に戻って、さっきまでいた方角の空を見返すとこんな感じ。