路地裏の駐車場にクルマを停めて現場まで歩いていると、知らないじいさんに声を掛けられた。
「あの、このへんでさ、場外馬券場知らない?」
「え、馬券場? いや、わからないですね」
「あ、そっか。ありがとね」
ここは明治通り、原宿のあたりである。こんなところに馬券売り場はないだろう。狂人かな、とつい思ってしまった。それに場外馬券場という言葉は僕の意識の死角からやってきた。
しかし、少し冷静になると彼が怪しい人間でないことはわかる。着古したジャンパーと帽子がいかにも競馬好きといった感じの、気のよさそうな小さなじいさんだった。不器用だが憎めないタイプ、といった雰囲気だ。もっと親切に接するべきだった。
気になってすぐにスマホで調べると、なるほど明治通りを15分ほど歩いて渋谷駅を超えると馬券売り場がある。なるほど、じいさんは渋谷で降りて、間違った方向に進んで原宿まで来てしまったのかもしれない。宮益坂口もずいぶん変わってしまったからありうる。
あのじいさんはどうしても今日の競馬で勝たないとまずいことになるのかもしれない。すると、負けるとさらにまずいことになるのだが、などと空想が捗る。どちらに転ぶかはわからないが、僕はじいさんのギャンブルに加担するしたいと思った。
ところが、周りを見渡してもじいさんはもう見つからなかった。彼がこの瞬間も明治通りを間違った方向へ進んでいると思うと、なんとかして見つけてやりたかったのだが、原宿の人混みの中では、それ以上なにもできることがなかった。
じいさんはネットで馬券を買ったりしない。google mapとかがもちろん使わない。僕だってこのさき何十年もCDを聴くだろうし、レコードだって聴く。エンジンをマニュアルで操りたい。紙の本が好きだ。どうも他人事とは思えなかった。じいさんが目当てのレースに間に合ったか、夜になっても気になる。
ゴリララーメンに寄って帰る。みそチャーシュー麺にした。昨夜となりに座った少年がメニューも見ずに注文していて気になっていたのだ。不思議な貫禄のある小学生だった。彼はカウンターに着くなり「ぼく、今日はみそチャーシュー麺にしようかな」と父親に告げたのだった。昨夜の少年よ、僕は知らなかった。チャーシューもうまいね、この店は。
撮影をしながら密かに決心していた。今シーズン中にもう一度、フル・マラソンを走る。せっかくなら3月の誕生日を迎える前がいい。仙台でのレースは初めてゆえに勝手がわからないことばかりだった。レースは本当に楽しかったが、実力を出し尽くしたとはとても言えない。この気持ちをいつまでも抱えているのはつらい。それに東京に帰ってからというもの、街や人が灰色に見えてしまっているのだから早くつぎの具体的な目標を決めたほうがいい。
ここまで条件がまとまれば話は早い。3月に自宅から通えるレースを検索して、板橋cityマラソンに即決した。エントリーも完了。開催は3月17日。目標はサブ4。来週からもう一度走り出す。
