にんじんを刻む愉しさ我にあり、0km, 20260110

初歩的な操作は習得しつつあるDTPソフトと動画編集ソフトの扱いが楽しくて、つい夢中になる。21時ぐらいかと思っていたらすでに0時を過ぎていて驚いた。いったい何時間座ったままだったのか。(水飲みや、チョコ食いや、トイレ行きや)。結局、2時まで作業をする。ま、遊びだ。

ふと思い出すのはウィンドウズのパソコンでフライト・シミュレーターや鉄道運転シミュレーターや都市開発シミュレーターに熱中した少年時代の記憶である。シミュレーションばかりだ。

そうか、同級生たちがバッティングの技術や体力、協調性、心身両面の服従の基礎などを身につけていた放課後の時間に、急いで家に帰りひとり机に向かっていた少年が大人になるとこうなるのか、と考えると、あらゆることに合点がゆく。とてもすっきりした。ぼくがマラソンという極めて個人的なスポーツを選択するのは道理だろう。マラソンは自分の意思に勝つか負けるかだけだし、だれの協力も(あくまでも競技の上では)必要としない。

それにしても、ぼくに服従の基礎が身についていないのは、やれやれだ。服従したことが、……ない。ときに服従できたほうが社会は便利だとは知っている。ちなみに人間のことは文学や音楽(シミュレーションに対してフィクションだ)から学んだつもりだ。愛とか不条理とか歴史とか、それこそ社会とか。念のため。

では服従の能力をいまから身につければよいではないか、という考え方もできる。

とにかく、昔からソフトウェアには案外明るかったのかもしれない。楽しい。

猫は今日も輝いておられる。