本を探す、中央線沿線、0km, 20250917

仕事のあとで池澤夏樹の新刊『一九四五年に生まれて』を探し歩く。

書店の棚から手に取ることに固執しているのは、言うまでもなく、巨大な経済に対するよくある小さな抵抗のつもりだったのだけど、やっているうちにこの宝探しのような行為が楽しくなってきた。とはいえ現時点で4軒空振り、今夜で5軒目。そろそろ潮時だ。ぼくにもほかにやるべきことがある。

阿佐ヶ谷。ご機嫌な街だ。歩けば気分がよい。駅前の八重洲ブックセンターに入る。もともとの「書楽」の経営が引き継がれてからは初めて来たが、知らない店ではない。それにこの宝探しは、この店のレジ横の平積みから買った、と友人が教えてくれたことが発端なのだ。堅い。

だが、ない。店内を3周は調べた。もう嫌になってしまって、その場にへたりこみそうになった。人間は徒労が度を越すと立っていられない。なんのために難路・青梅街道を来たのか。本を首尾よく手に入れて、お気に入りの居酒屋のカウンターで読みながら一杯やる腹積りだってあったのだ。稲城の我が家がとても遠く感じられ、もうこのまま阿佐ヶ谷に住んでもいいとさえ真剣に思った。加齢のせいか、最近は阿佐ヶ谷が悪くない。まあでも、マラソンの練習に多摩川が必要だ。帰る。いや、その前に店員に尋ねる。一人はレジに張り付いて忙しそう。店の奥の問い合わせのカウンターは無人。もう一人いる店員は文庫の棚を整理しながら、馴染みの客とも、近所に住む作家とも、退勤したばかりの同僚とも見える女となにやら楽しそうに話している。もういい、帰る。目当ての本はなかったが、どの棚も魅惑的な品揃えだった。わくわくした。お見事。

帰ると言いつつ、西荻の今野書店に寄る。このルートは想定していた。まあ、落ち着く。町の本屋といえばこれだ。なかった。大丈夫。

同じ通りの先にある、むかし世話になったクリーニング屋がコインランドリーに変わっていた。

吉祥寺に行く。ジュンク堂なら必ずあるはず。なにしろ大型店舗だ。これで宝探しも終わる。だが閉店の時間が近かった。クルマを停めてから急いでコピスのエスカレーターを上がれば間に合ったかもしれないが、急ぎたくはない。クルマは停めずにそのまま駅前を通り過ぎて帰った。

これで6軒回って、すべて空振り。買う予定のなかった本が着実に増えていく。いま、5冊。それは愉快なことではある。

深夜。今野書店で買ってきた『小説新潮』の9月号を開く。この雑誌は前述の友人が制作に携わっているから、たまたま見つければ買う。巻頭の小池真理子の新連載「ソリチュード」をとりあえず読む。これがとてもよかった。おれがずっと叫びたかったのはこの物語であり文体である。などと書いても、何を説明したことにもならないのだが、読者個人が「よい」と感じる小説というのは「あれ、これおれが書いたかもしれない。違うかあ」と思わせる作用がある。この小説の内容はタイトルから想像していただきたい。よくあるテーマかもしれないが、おすすめする。この作家の文章を読むのは初めてだった。よい出会いになった。今日の徒労も完全に浄化された。

そもそも、ずいぶん楽しいから徒労とは言えないかもしれないが。

走らず。時間がなかった。