運転に明け暮れる、20250825

ほとんど一睡も出来ず、明け方から奔走することになった。伯父を病院に連れて行くために運転をしたのだからまさに奔走という気がする。逆の言い方をすれば運転以外のことはなにもしていない。ぼくの論理で諭せる相手ではなく、それについてはなにかしらこちらに問題があると思われるし、そうかと言って情緒的に寄り添う能力は持ち合わせていない。ましてや医者でもない。運転だけだ。返事ぐらいはする。返事の仕様のないことには返事さえしなかったりする。我ながら冷たい人間だと思っている。申し訳は一切ない。

たとえば、「経口補水液を飲んだほうがよろしいかと」と言ってもその意見が受け入れられないのには、人の扱いというのは難しいものだなあ、と思わされるし、改めて自分の無力を感じる。そのことが愉快ではある。

だいたいが「経口補水液」という一般的な名称からして分かりづらいのではないか、と思って、運転をしながら商品名を考えた。「力水(ちからみず)」「危機水(ききすい)」などの案を出す。前者は日本相撲協会の許可が必要かな、いっそのことパッケージデザインに相撲を取り入れようか、いや待てよ「力水」という清涼飲料水がすでにあったような……。妄想の会議は白熱した。

道中、コンビニで仕入れた塩分タブレットを差し出したら、これは聞き入れられた。そしてそれがすぐに利いて楽になったらしい。飴やお菓子の好きな人なのだ。このあたりにマーケティングのヒントがあるか。いや、介抱のヒントにすべきか。

レントゲン検査や問診などを終えて帰り着いたときには昼になっていた。医者がどう診たかは知らん。ずっとクルマの中で仮眠をして待っていた。このあたりは戦略的判断だと受け取ってもらいたいが、怠けた奴だと思われそうでもある。

稲城の自宅に戻ったのは15時だったか、16時だったか。猫はとてもご立腹の様子であった。無視されたりした。言い訳はせず、食事だけ与えて、すぐに風呂に浸かった。排水溝に流せる物事は多い。疲れもその一つとぼくは考える。これは個人的なまじないなのだから排水溝はいよいよ便利である。さっぱりする。そして寝た。3時間も寝た。

クライアント・ワークはほとんど手をつけられなかった。日頃から早めの進行を心がけているからこそ、一日ぐらいの停滞は問題ないはず。どうだろうか。

約30時間ぶりに帰宅してもとくに活動の形跡はない。猫というのは手がかからなくてよいものだ。
3時間の眠りから覚めた飼い主に猫が言うには「やはり係の者を……」であった。「だれであれ”者”と言うのはやめなさい」。