脱皮し石焼ビビンバにありつく、20250313

まだ空も暗い5時半に家を出ると街全体が霧に包まれて幻想的だった。多摩川を渡るときが、やっぱりよかった。このまま朝型の人間に変わりたいと思うのはいつものことだが、いまだうまくいった例はない。それでも加齢とともにすこしずつ早寝早起きになっているのも確かだ。そのうちがんばらなくても5時に起きられる人間になるものだろうか。


当座の用件は昼前に済んで、都心で暇を持て余した。天気はよい。S社のMさんに電話をかける。「いま、近くにいるんですけど、もし……」「あ、いいですよ」、ということでお邪魔した。ついこないだMさんに「近くに来たら寄ってください」と言われていたのだ。社交辞令だったかもしれないが、あまり深く考えず、まさに無鉄砲に電話をしてみたというわけだ。

事務所に着いたのはちょうど昼過ぎで、ランチに行くことになった。はじめから昼飯を目当てに連絡したと思われかねないタイミングではあるが、そんなことも気にしないことにした。なぜなら会いたい気持ちに偽りはない。ゆえに強気でいられる。

Mさんは同僚を3人誘い合わせてくださった。そのうちのひとりはぼくの飲み仲間(大先輩ではあるが)のKさんで、お会いするのは半年ぶりぐらいだったか。思いがけず賑やかな、総勢5名の会合と相成り、会話が弾んだ。

いかにもよさそうな焼肉店で石焼ビビンバランチをいただいた。これが驚くほど美味かった。会話をしながら食べること、他人(この場合はプロの料理人)が作ってくれた料理を食べること、それらのことがこんなにも尊いものだったとはしばらく忘れていた。酒断ち以来、外食をほとんどしなくなったし、家での食事も体力作りが主眼にあった。

ちょうどこの何日か考えていたのだ。ぼくは習慣にしろ、好き嫌いにしろ、固執しすぎるところがある。石頭だからだめなんだ、と花や鳥を眺めながら反省し、その足で大型書店に行き、読んだことのない雑誌を2冊選んで帰ってきたのは昨日のことだ。あまり馴染みのない棚を丹念に確かめるのは新鮮だった。面白がって見ると、どれも面白いものだ。自分を自由にしておかなければいけない。脱皮が必要だったのだ。

石焼ビビンバを頬張りながら、密かに脱皮は完了していた。やはり毎年春に脱皮している気がする。季節性の精神状態といえばそうなのだろう。だが、なんてことはない。肉体にしたって精神にしたって、生命の生理に従ったまでのことなのだ。

それにしても、だ。石焼ビビンバというスタイルを見つけた人は偉い。焼ける音がいい。かき混ぜるとお焦げが剥がれる手応えがいい。食べて美味い。それに最後まで熱々だし、要は五感で満足した。そんないかにも焼肉屋的な事象が青天の霹靂だった。

脱皮を試みたから石焼ビビンバにありつき、石焼ビビンバを食べたから脱皮が済んだ、ということなのだろう。

夜、机に向かうぼくの腕に猫が乗った。こんなことは初めてだ。キーボードの上に乗って作業を妨げる猫というのはよく見聞きするが、これはこのまま一心に作業をつづけろ、ということなのだろうか。