3時に起きて、F1のアメリカ・グランプリの決勝を見た。この先の一ヶ月はアメリカ大陸でのレースが続くから時差との戦いだ。
再デビューのリアム・ローソンが、初めて走るサーキットで輝いた一方で、チームメイトの角田は、戦略は裏目、理不尽とはいえタイム・ペナルティももらって、最後はミスでスピンして下位に沈んだ。予選はよかったのだが、ひどいレースになってしまった。ローソンとはあまりにも対照的だ。ローソンは間違いなく強い。この争いに負けるとシートを失い、勝てば賞賛される。しかし、速さを評価されているチームメイトというのは、自身の速さを可視化してくれる、なによりの試金石でもある。角田にとってはガスリー以来のいい競争相手ではないか。デ・フリースは未知数の新人だったし、リカルドは明らかに全盛期を過ぎたベテランだったから。来週はやり返してほしい。
フェルスタッペンとノリスの争いを尻目に、フェラーリがワン・ツー・フィニッシュ。勝ったのはルクレール。サインツも互角のペースでは走っていたが、スタート直後の1コーナーでだれよりも運が向いていたのがルクレールだった。サインツにはフェラーリを去るまでに、なんとかもう一度、勝ってほしい。赤いレーシング・スーツのサインツが見られるのはあと5戦だ。バモス。
フェルスタッペンは、まるで競技規則をあざ笑うかのようなダーティな戦術を意図的に用いては、けろっとしているように見える。ノリスが、それに対してスペシャルな走りで勝つと、見ているファンは面白くなる。それに期待する。今日は負けた。この週末で57ポイント差に広がって、残り5戦。厳しい。
昼過ぎまで撮影をして、午後は都心にとどまって、ジョグを楽しんだ。早稲田から始めて、まずは目と鼻の先の東京カテドラル聖マリア大聖堂へ。ずっと来てみたかった丹下健三建築のひとつだ。聖堂内ではちょうどパイプ・オルガン奏者が(おそらく)練習をしていた。いくつかのフレーズが繰り返される音と、高い窓からの光が、まさに天から降りそそぐ。やはり大聖堂という装置はよくできていると唸らされる。と、仕組みに感心するのはほどほどにして、椅子に座って、神や祈りについてすこし考えた。それについてはぼくは否定的ではないとは思うけど、考えがまとまっているとはいえない。どちらかというと、神に祈るのは素敵なことではないかと、感じているような気もする。なにしろぼくはいま、「酒断ち」の真っ最中だ。だって祈りでもしなければやっていられないだろう。
つぎに護国寺を見学して、漱石の『こゝろ』の情景を味わった(うろ覚えなのだが、先生が墓参りをするのは護国寺だったよな)。それから飯田橋に下りて、ついでだからと水道橋に足を向けて、決戦前の東京ドームを冷やかした。神楽坂の商店街は目移りがする。飲み食いしたい。坂を上って、下って、早稲田に戻った。12キロちょっと。
夜は哲学史講座。だめだ、まったくついていけない。今夜はフィヒテ。
呆れるほど長い一日だった。これで熟睡できなければうそだ。




