家の前の坂道に何本か植る木犀が、この時分の夜はとくによく香る。今夜のランはこの坂道でのダッシュとした。高負荷の時短トレーニングだ。鼻から吸い込む、ダッシュに必要な大量の空気が木犀の香りなのだからとてもよい。
坂の上で折り返すと、薄い雲に覆われた月に、月暈が出ていて、はっとした。眺めながら坂をジョグで下って、ふたたび坂の上に達したときにはもう月暈は消えていた。じつに美しかった。ほんの1分ぐらいのできことだった。こんなときに限って眼鏡をせずに走ったのは残念だ。
深夜の暗い部屋で机に向かって、植物図鑑と歳時記を繰った。木犀のことや、ここ最近見かけて気になっていた草花を調べようと思い立ったのだ。そして驚くほどに気持ちが鎮まっていくのを感じた。たしかに、ここのところは、詩や花鳥風月のことを遠くに押しやっていた。そんな悠長なことはやっていられない、とはっきり拒絶していた。その結果、焦燥感に圧倒されて、限界を迎えたのが、まさにちょうど今日だった。やれやれ、反省である。俳句などは偉大である。木犀と月にも感謝だ。
昼間は税理士事務所にも寄って、夕方からは、ぼくなどとは生産性のうえでは比べものにもならない企業に、出入り業者として潜入した。なんでこうもうまく生きられないのかと、思い知らされたりするわけだ。惨めな気持ちだ。こういうことは、ここに書いておかなければいけないのだ。書くのはたいへんだ。
仕事からの帰り道は雨だった。甲州街道はもう秋なのさ、というムードだ。ぼくには忌野清志郎がわかる。CHABOのこともわかる。そのことは本当にすばらしいことだ。
