清里でロバート・フランク生誕100周年記念展を見てきた。1950年代の彼の仕事と、同時代のほかの写真家の仕事をざっと鑑賞できた。フランクといえばオン・ザ・ロードのストリート・フォトグラフィーの印象が強いけど、雑誌向けのポートレートも素晴らしかった。
だいたいロバート・フランクなんかを見ると、「おれも写真撮りたい」と、だれでも思う。そういう作家なのだ。









2時間ほどゆっくり過ごして13時半ごろ美術館を出た。そのあとのアテはなかった。食事でもできればよかったのだが、どこの店もランチのラスト・オーダーの時間らしかった。食い逸れるのはいつものことだ。慣れている。なんとも思わない。食事の優先順位が低いからこうなる。
近所に、廃校になった小学校を利用したコ・ワーキング・スペースを見つけて、なんとなしに入ってみた。八ヶ岳コモンズというこの施設は5年前までは北杜市立高根清里小学校だったとのこと。

かつて職員室だった受付で料金を払って、案内されたのは2階の図工室の脇、つまり図工準備室のようなところ。ほかに利用者もいないからフロア全部が貸切状態だ。おそろしく静か、つまり少々不気味ではある。2階のトイレも使えるが、子供用の作りなので1階のを使うといいかも、とのことだったが、設備どうこうの話ではない。怪談は苦手だ。閉館までの3時間を、机に向かって過ごした。窓は南を向いていて、晴れていれば南アルプスや奥秩父の山々が一望できたはずだ。標高が高いから(1000メートルぐらいか)遠くの雲は眼下に広がっていた。おそらくは映画のロケなんかで重宝されていることだろう。集中するにはいい場所だった。



17時に清里を発って、御坂峠、河口湖、山中湖と抜けて道志みちから帰ってきた。21時半に家に着いた。まったくの運転馬鹿だ。だがその時間を必要としていたみたいだ。ずいぶん考え事がはかどった。
23時、ロンドンにいるHくんと1時間のビデオ通話。彼はなかなか面白いヨーロッパ遊学をしている。1月には帰ってくるらしい。またみんなで集まろう。
電話のあとで、彼がこの夏に訪れたというハンガリーの「Ozora Festival」の模様をYou Tubeで鑑賞した。「サイケ・トランス」という音楽ジャンルのフェスティバルなのだが、さっぱりわからない。おそらく頭で解釈を試みているのがいけないのではないか……ということはなんとなくわかる。たとえば、なぜ楽器を用いないのかとか、DJの操作に意味はあるのかとか、つまり即興性や一回性がそこには存在しているのかとか、あらかじめプログラムされたベスト・テイク(ベスト・プログラムか)をスピーカーから流せばいいのではないかとか……。そんなふうに頭で考えてはいけないのだろう。つい、音楽は始点があって終点があると思ってしまうのだが、彼らのノリ方を見ていると、終始ハイだ。時間の捉え方もぼくは間違っているらしい。感覚的で突飛な仮説だけど、仏教的な捉え方が正解であって、ヨーロッパ人によるキリスト教的な考え方に対するカウンター・カルチャーなのではないか……。要は現代のヒッピーか? ぼくのふだんの音楽の聴き方は演奏者の天才性の完全な受動であったとして、サイケ・トランスはどうもそうではなさそうだ……。などなど。今夜はそこまで。やたら疲れた。Hくん、よくわからないよ。よいロンドンの日々を。