彼岸もまもなく明ける。涼しくはなったが、デニムを穿けるほど涼しいかというとまだ怪しいか。それで今日も薄手のチノパンを選んだ。ほんとうに今年の暑さには参った。夏は年々暑くなり、人間はひとつずつ歳をとっていくのだからたいへんだ。それでほんとうに参ったのだと思う。悲観的な将来の観測に、身体よりも頭のほうで参ってしまった。
渋谷と新宿を行ったり来たり、まさに奔走が必要な仕事だった。電車で移動したのだが、どちらの駅も大リニューアル中で、もうぼくが知っている駅ではなかった。「小田急百貨店、なくなったか?」って感じである。渋谷駅は山手線のプラットホームの真横(東急百貨店、なくなった?)でコンクリートを砕く音がガンガン鳴り響いている。ぼくが渋谷駅の駅員だったら、一日と保たずに、会社に異動を求めるか、出社拒否するか、退職するかだろう。頭がクラクラした。「みんなやってるから」とか「仕事だから」とか、そういうよくわからない論理で個人の感情や思考が封殺されることにぼくは耐えられない。総じて会社というのはそういうものだ。仕事を戦争と置き換えても問題の本質は同じだろう。こりゃ参った、と大きなため息がとまらなかった。なにを憂いているのか、といわれると答えに窮するのだが、この憂いは個人的な研究テーマにちがいない。「都市開発」ひとつとったってなぜこんなにも空しいのか。それでいまは「憲法」や「国家」についての勉強を始めたところだ。
それから明大前の乗り換えはいつも間違える。余計な階段の登り降りをしている。周辺の飲食店の換気口からの臭いには吐き気を催すし、これはなかなかの難所だ。渋谷、新宿どころの話ではない。たかが明大前でだ。それどころか、ラッシュ・アワーの帰りは、明大前で車両からうまく降りられずに、仕方がないから永福町まで一度行き過ぎてから折り返してきた。降りようと思えばそりゃやれたけど、なんかもう降りなくてもいいや、と思ってしまった。この駅は嫌いだ。さすがにヤワが過ぎるよな、と自覚はしている。ぼくがもっと歳をとったときに、このままやっていけるとは思えない。なにか策を練るべきだろう。
