労働とは、20240912

家事、子育て、会社勤め、経営、アルバイト。これらの共通点は、休みたいなあと思ってもやらなくてはいけないこと、だ。それをふつう労働という。

たとえば、ぼくにとっての走ることは、休みたいと思えば休んでもいいから労働ではない。これがプロのランナーだったら、休みたいなあ、といって休むわけにはいかない。労働を休むには他人が納得するような、それなりの理由が必要になる。それが労働だ。

つまりこの定義だと、賃金を得ることだけが労働ではない、ということになる。稼ぎがどうのこうのといって家庭内で偉ぶるなんてもってのほかだ。なんだって休めないことは大変なことなのだ。

猫を世話することは労働ではないらしい。こちらが忙しくて時間がないと充分にはかまってやれない。すると猫はおとなしく眠りつづける。猫よ、ごめんよ、と思いつつこちらも眠りに就く。これが犬だったらそうもいかないのかもしれない。

なにが言いたいかといえば、今週は労働が忙しい。疲れた。仕事の帰りに散髪をしてもらいながら、睡魔に抗うのがつらかった。なんでこんなときに散髪に行くのかというと、予約した時にはこんなに忙しい週になるとは思っていなかったから。眠らせない拷問というのがあるらしいけど、どこの人でなしがそんなことを発案したのか、などと考えながらなんとか無事に散髪は済んだ。

自宅で編集作業を何件か片付けてようやく落ち着いた。すでに22時を過ぎていたが、バイク・トレーニングにでた。約1時間、25キロ。これは疲労回復も願ってのこと。多摩川の向こうの西の丘に半月が入るところをちょうど見た。じつに壮麗な天体ショーだった。

猫が人間に対して労働をしているというのはもはや定説だろう。