静岡2日目は山に登る予定だったのだが、やめた。昨日の遅刻を反省して、私生活をゆっくりと過ごすべきだと考えた。余裕がないのがいけなかった。体力を過信しているところがあった。それで9時までたっぷり眠って、10時に静岡駅前のホテルを出た。
予定が白紙になったからなにもあてがなかった。オプションを用意していなかった。だが地図で目に入った「音羽町」という地名が気になっていた。そこに行けば旅は自ずと動き出すという気がしていた。日吉町駅から二両編成の静鉄電車に乗って、つぎの音羽町駅で降りた。歩ける距離だったが、静鉄に乗ってみたかった。喫茶店にでも入って朝食を取れればいいのだが、と歩いていると「Fossette」というベーカリーがあった。チョコ・コロネとサンドイッチとオレンジ・ジュースを買って、店の向かいの気持ちのいい公園の木陰のベンチで朝食とした。パンは控えめで素朴な味わいがとてもよかった。自分でサンドイッチを作ると、つい”重め”に作ってしまう。この店のはパンも具も軽くていい。やりすぎていない。たいへん勉強になった。


この公園、どうも奥の小山の中へ道が続いているらしい。食事中、トレイル・ランナーが何人か森の中へ吸い込まれていった。つぎの行動が決まった。ぼくもトレイル・ランの格好をしているのだ。山には行かなかったが、街中でランにありついた。俺は静岡に愛されている。
広場からハイキング・コースに入って、静鉄の線路に沿って東に伸びる小山の中を、逍遥といった感じのラン。視界が開けると海と街が一望できる。風は海から吹いて心地よい。蓮永寺という立派な寺の境内に迷い込んだ。走ってきた景色と、この境内と、小津安二郎の映画を思わせる。このロケーションだったら、カメラマンは仕事が楽だろう。違う尾根筋からもう一度山に入って、反対側の靜岡縣護國神社に出た。こちらも山に抱かれた気持ちのいい境内だった。


走行距離としてはたったの5キロ。しかし、暑かった。休憩がてら静鉄に乗ることにした。さて、つぎは何をするか。
柚木駅から清水方面の電車に乗った。清水、悪くない。姉の一家が帰省しているかもしれない。しかし突然会いに行くほど親しくはない。ちびまる子ちゃんとか気になる。などと考えながら結局は県立美術館前駅で降りた。駅からは上り坂を1キロ走って美術館に到着。企画展の「カナレットとヴェネツィアの輝き」で中世からの風景画の流れとヴェネツィアという土地の成り立ちを学び、ロダン館へ。ここのロダンのコレクションと建物の心地よさは素晴らしい。

三世代で美術鑑賞にきた一家とずっと一緒だった。お盆休みならではという感じで素敵だった。
ゆっくりと見て展示会場を出ると銅版画体験をやっている。昨日は浮世絵、今日は銅版画。どれどれやってみようじゃないの。好きなものから原板を選べるという。あ、原板は用意されているのね……。それで横山大観の富士山を選んだ。スタッフがそれにカーボン紙を重ねて、プレス機にセットして、ぼくにハンドルを回せという。ぼくはハンドルを回した。それで印刷された紙を受け取って、この上にスタンプで装飾できるという。なるほど、完全に子供を相手にした出し物だった。「このままでも雰囲気いいですけどねえ」とスタッフ。ぼくもそう思う。スタンプは押さずにプリントを貰って辞去した。なんだ、ハンドル回しただけじゃないか。だめなんだって、子供に迎合しちゃ。ごらんなさいよ、子供たちが調子に乗っちゃって、無法地帯じゃないか。銅版画体験に期待した大人は(ぼくのことだ)がっかりしているし。スタッフもみな疲れるでしょうに。銅版画の原理を肌で感じられるとよかったのだが、ハンドルを回すことも、出来上がったプリントにスタンプを押すことも、まったく本筋ではない。ふふふ、ハンドル回しただけかあ。ハンドル回しただけだ! 期待が大きすぎただけなんだ。銅版画やりたいなあ。彫りたいよ、おれは。プレス機のハンドル回しただけじゃないか。
建物を出ると外は雨。前庭のベンチで雨宿りができたからそこで1時間ほど小説を読んで過ごした。雨上がりにまた1キロ走って駅に戻った。

再び音羽町に戻って、静岡の繁華街を走った。店長が教えてくれた水曜文庫に入った。ここが今日の最終目的地。店に入って、まず匂いがよかった。いい本屋の古い匂いがした。棚を端から見ていくと、参った。よい。このペースで選んでいたら金が足りない。さっき2万降ろしてきた。それで店の半分ほどをじっくり見て、8冊選んで会計とした。やはりキャッシュが役に立った。店の奥の半分は、またきっと近いうちに来るだろうと思って残しておいた。素晴らしい古書店だ。この街には住める、と思った。
18時半に静岡を発った。やはり遠回りして、22時に帰宅。

