今日は静岡県の藤枝市への出張だった。お盆休み前の金曜日だから、高速道路がまともに機能するかどうかまったく予想がつかず、そのことを何日も前からストレスに感じていた。とにかく念には念を、早い時間に都心から離れるべきだろう。それで早朝の5時半に川崎インターから東名高速に入って、7時には箱根の向こうへ出た。これで一安心、なにしろ仕事は15時半からなのだ。
ところが、ぼくは仕事に10分遅刻した。なんてことはない。仕事は13時半からだったのだ。ぼくは2時間も思い違いをしていた。早着の習慣があったからこそ10分の遅れで済んだとも言えるし、2時間の思い違いに対しては習慣さえ無力だったとも言える。
今回の案件のチャットのやり取りのなかで「駅に集合する人は15時(つまり現地集合組は15時半)になるかも」というようなメッセージが紛れていた。ぼくはどういうわけか、それで仕事が15時半からに決まったものだと早合点をしてしまった。最終的に13時半に決定されたことは、そのあとのメッセージで明記されていたことは言うまでもない。完全にぼくのミス。なんらかのバイアスとしか言いようのない恐ろしい思い違い。しかし、そうだとしても勘違いに気づくタイミングはいくらでもあったのだ。前夜寝る前、朝出かける前、静岡に着いてから……。リスク・マネジメントの考え方のひとつに「スイス・チーズ・モデル」というのがあるけれど、今回のぼくのミスの場合も見事に何枚ものチーズの穴を「思い違い」が通り抜けていった。みなさんも身の回りでエラーが起きたら「スイス・チーズ・モデル」に当てはめてみてください。けっこう面白いものですね。もちろん面白がっている場合ではなくて、反省が必要だ。以下、今日のぼくのチーズの穴を羅列してみよう。
・チャットを熟読していなかった
・予定を復唱して返信しなかった(いつもはすることが多い)
・お盆休みの交通状況に注意が向いていた
・渋滞を回避するために睡眠時間を削った(2時間睡眠で家を出た)
・猫の留守番の準備などで前夜は忙しかった
・カレンダーへの記載方法が自己ルールから逸脱していた
これらの穴がすべて同軸上につながった。もし仮に一つでも穴がズレていたらそれはラッキー、いわゆる「ひやりはっと」。ぼくがすべきはラッキーに期待することではなく、防御のチーズを一枚挟むことなのだ。それはやはり前日の昼までには予定を確認して、不安があれば関係者に確認を取る、ということだろうか。
そう。7時には箱根の峠を越えたのだ。厚木から小田原方面へわざわざ逸れて箱根を越えることで、旅情をとった。東海道のロマンを感じたかった。ロマンはずっと感じていた。三島で軽く朝食をとって熱いコーヒーにもありついた。富士山もたまに顔を出した。出来過ぎの朝だった。渋滞はもう心配ないし、睡眠不足はいつでも適宜補えばよかった。眠くなるのを待つつもりで、富士川の河川敷にクルマを停めて、鉄橋を駆け抜ける東海道新幹線の写真を撮って楽しんだ。16両編成の先端から後端までの通過にかかる時間を測って走行速度を算出して遊んだ。そんなことをしていて、ずいぶん長く過ごしたらしい。その先にある静岡市東海道広重美術館はとっくに開館の時間になっていた。旧東海道の由比宿場の本陣跡に建てられた美術館に入って、浮世絵を読んで学び、鑑賞し、最後は版画体験にも挑戦した。摺り師としての才能がまったく感じられないぼくに対して、厳格に指導をしてくれた教官に礼を言って、とてもよい心持ちで施設を出た。2枚摺って疲れたからアイスクリームを食べた。それでもまだ時間はたっぷり余っていた。昨日オトトハルの店長が教えてくれた静岡市街地の古書店に行こうか、でもそれだと現場への到着がぎりぎりになりそうだった。今日はあくまでも仕事で来ているのだ。それでクルマを目的地へ向けてのんびり走らせた。藤枝市内に入って、給油をしていると携帯が鳴った。一瞬で事態を理解した。頭の片隅には13時半と言う情報が残っていたのだろう。「ああ、遅刻だ! なんで15時半だと思ってしまったんだ!」。後悔しても仕方がない。慌てずに、給油を5リットルほどで切り上げて、再びクルマを走らせた。あくまでも、冷静に。ガソリン・スタンドからは15分で現場に着いた。10分の遅刻だった。繰り返すが原因はぼくの誤認識、誤読。
仕事は終わって、関係者に謝罪し、解散して、落ち込んだ。ぼくは失敗への耐性があまり強くなかったみたいだ。こんなに落ち込むとは思わなかった。一人で海に出た。しばらく海を眺めて、ただ情けなかった。ちょうど夕凪で、ひどく蒸し暑かった。
今夜は静岡駅前に宿を取っていた。帰宅ラッシュの時間の地方都市の道路渋滞はひどいものだ。駐車場への入り口を見逃してしまって、がんじがらめの市街地を2周する羽目になった。東京の鉄道に不慣れな人が新宿駅で時間を失うのと同じことだ。ぼくは静岡の駅前をクルマで彷徨った。店長が教えてくれた古書店に行く時間はなくなってしまった。
「あ、駐車券お持ちでしたか!」会計を終えた年配のフロント・マンがとぼけた風に言った。
「ええ、持ってました」。別にぼくが隠していたわけではない。言い方にはすこし嫌味があったか。説明が冗長で肝心なことが伝わらないフロント・マンにぼくは苛立っていた。二度手間となったチェック・インを終えて、エレベーターを探した。見つからなくてフロアを一周した。彼はエレベーターの場所を一言教えてくれればよかったし、カードの決済の前に駐車券の有無を聞くべきだったのだ。まあいい。これは本当にそう思っているのだが、すべてはぼくが寝不足だからいけないのだ。
部屋に入って、すぐに風呂に入って、来ていた服を手洗いした。ぼくは旅に洗濯セットを持参している。危険なムードを実際的に水に流すのはいつものこと。今日は走らない。食事にも出かけない。籠城するつもりで、道中ベーカリーに寄ってきた。部屋で食べたパンはどれも美味しかった。焼津のなんて店だったか。夕方にも関わらず、奥からどんどん商品が補充される繁盛店だった。たしか、ピノキオだったかピーターパンだったか、そのどちらかだ。
大事なことだからもう一度書いておこう。寝不足がいけなかった。本当に。





