ナイターを観たあと、神宮球場から自宅までの21キロを走って帰った。時間にして1時間57分。これで今月の走行時間は12時間半になった。月間20時間の目標は高過ぎたか。
応援しているチームがスワローズだから、球場を出るのが遅くなった。同点の12回裏1アウト、ネクスト・バッターズ・サークルには村上宗隆が控え、一塁ランナーは俊足武岡、打席には好調の長岡。帰らずに待っていた観客の期待は最高潮に達していたが、ダブル・プレーであっけなく終わった。球場を出たのが22時半ぐらい。23時過ぎに千駄ヶ谷の駅前から走り出した。
代々木から甲州街道に出て、そこからは京王線に沿って帰るルート。疲れたら途中で好きなときに電車に乗ればいい。だが延長戦のあととあっては、そのうちに終電に追い越されてしまう。わざわざ時刻表を調べはしなかったけど、おそらく烏山のあたりで終電を見送ったのだと思う。その時点で道のりの半分。あとは走るしかなかった。
脚の調子もよかったから、走ることは苦しくなかった。途中、穏やかな雨が何度か降って、それがちょうど気持ちよかった。
終電の前後の時間の沿線を一駅ずつ通り過ぎていくと、それぞれの街のもつ固有の雰囲気がとてもよく伝わってくる。都心から近い幡ヶ谷や笹塚あたりは街全体が若くて、それゆえにとても粗雑な感じがして、ぼくはもうこういう街にはとても住めないなと思った。夜の明大前は学生がいなくて、アダルトな飲食店が静かに営業していたのは意外だった。環八を過ぎて千歳烏山のあたりは帰宅の人が多くて、その人たちの道路の渡り方なんかに、急行停車駅らしい忙しなさがあると感じた。安直に考えれば、急行停車駅には、”どこかへ速く行きたい人”たちが住むはずだろう。だから当然、みんな急いでいる。 ここもまだぼくには住めない。もっと郊外がいい。住む場所を探すときは、必ず夜にその街を歩いてみるのがよさそうだ。そこに住んでいる人たちがみんな帰ってくるから、街全体の性格がよくわかる。
そして、だ。終電を境に、駅前の通行人の性質ががらりと変わった。ぼくのように終電前後の沿線をだらだらと一駅ずつ走っている人間なんてそういないだろうから、これはなかなか面白い発見だと思った。
一言で言えば、終電の帰宅の流れから外れて、ぶらぶらと彷徨っている奴らは危ない。どんな理由で彼らが寝ないかは知らないが、やっぱり普通ではない。明らかに酒が入っていて、タバコを指に挟んで蛇行しているのが共通点。ぼくは”元のんべえ”だし、それについてはとくに文句もなく、注意深く脇を通り抜けていくだけだが、あんまり気持ちのいいフィーリングではない。なにをしでかすかわからない怖さがある。
嫌な予感は当たった。調布の駅前に差し掛かって、向こうから一人で歩いて来た異様に手脚の長い酔っ払いのアフリカ系の若い男が、すれ違いざまにぼくに向かって突然手を繰り出してきて奇声をあげたのだ。これには流石に腹が立ったが、ぼくにはまったく同じ経験が18歳のときにもあった。それはニューヨークのアッパー・ウエスト・サイド(ちょっと危ないエリア)で、やはりアフリカ系の男(少年グループの一人だった)が、罵言を吐きながら、ぼくに殴りかかる素振りをみせた。そのときと手口が完全に一緒で驚いた。黒人差別の犠牲者である彼らは、アジア系人種に対して強烈な攻撃をすることがある。
それで今夜、そのアフリカ系の男のことも、「ああ、ブラックによるイエロー嫌悪か」(ぼくは日焼けし過ぎてほとんど茶色だけど)と瞬時に頭で理解して、一瞥しただけで通り過ぎた。なにしろ酔っ払いよりかは脚が速いだろうから怖くもなんともない。だが、あまりにもクールにあしらわれて腹を立てたらしいそいつは、まだ背後で喚いていた。立ち止まって、振り返って、「だまれ! アホ」ときつく言ってやった。それで男がすこし萎えたのがわかった。どうせやつは今夜、女にモテなかっただけだろう。だからと言ってアジア人のスポーツマンを馬鹿にするな。日本人にはマラソンの金メダリストだっているんだ。高橋尚子って知ってるかい? Qちゃんだよ馬鹿野郎。彼女ほどではないが、おれだって脚が速いんだ。それに野球はひどい試合だったんだ。
話は長くなったが、とにかく、終電後の彼らは(ほとんどは男だ)、あらゆる種類の溢れ者には違わないだろう。ぼくだってこんな時間にハーフ・マラソンの距離を走っている溢れ者だ。
ついでにもう一つ。今夜、ほんの些細な悪意を受けたのが、ぼくのような男でよかった。これがへとへとに疲れた仕事帰りの女性だったらと思うと暗い気持ちになる。終電で帰ってきたら、自宅まではタクシーを使うのが賢明だろうと思う。それからやっぱり夜は家にいたほうがいい。あのパンデミックの前後では、街の様子は確実に変わっている。もちろん円の相対的な弱さが大きな要因だろう。それによる旅行者の爆発的増加で、いままでぼくたちの知らなかったような異文化の人たちが、都心だけではなく、郊外まで泊まりにきている。彼らのなかには差別意識を持った横柄な人たちもいるかもしれない。なにしろ円が安いから、派手に遊んで(べろんべろんになって)気が大きくなるということもあるだろう。日本人だって、昔東南アジアで下品に遊んでいたんだ。そんなことって、とてもくだらないことだとは思うけど、人間の基本的な性質というのは変わらないだろう。国のあいだで役割のほうが変わっただけだ。それを知っておくことが自衛になると思う。
昨年だったか、一昨年だったかに読んだ、有吉佐和子の『非色』はよかった。今夜の出来事に対処しながら、すぐにこの小説を思い出した。それは、終戦直後に駐留米軍の黒人兵と結婚して子供を産みニューヨークに渡った母の物語だ。テーマは「差別とはなにか」。読めばタイトルの意味がよくわかる。2020年に再文庫化されてよく読まれているみたいだ。
家に着いたのは日付も変わった1時過ぎだった。自分でもなにをやっているんだろうなと思う。昨日は走ってジャイアンツ球場へ行き、今日は神宮球場から帰ってきた(往路は電車で行った)。ぼくばかり強くなっていく。まわりが元気なほうが、よほどうれしい。
この一週間ほど、どうも散漫な日々が続いていた。なにをしてもいまいち面白くなかった。そういうムードってやつだろう。もうすこし実際的に言うと感情の周期のようなもの。モナコGPは面白かった。となるとスワローズが連敗しているからいけないんだろうか。いや、モナコGPで燃え尽きたか。これは仮説ってやつだ。いずれにしても、ようやく、元気になってきた。猫も健康診断に連れて行った。ならオーケーか。

