7時に起きて、1時間ほど仕事をした。
ホテルで朝食を済まし、ふたたび仕事をして11時になった。月曜日なのだ。
ランニング・ウェアに着替えて、ホテルを出た。ベア・フット・シューズを履いた。
富山駅から南へ適当に走った。まず立ち寄ったのは、富山城址公園。この園内の富山市佐藤記念美術館がよかった。地元出身の川辺外治の人物画が印象に残った。館内の喫茶室で抹茶と生菓子をいただいた。
ふたたび街に出た。さて、このあたりに市立図書館があるはずなのだが、道端の街路図には記載がない。まあ、いいか、と、つぎの目的地を富山市ガラス美術館に決めた。10分ほど走って、着くと、なんてことはない、このガラス美術館の同じ建物に目当ての図書館が入っていたのだ。図書館も地図に書いてほしかった。巨大な吹き抜けが捻れるように最上階までつづく6階建ての建物。大雑把にいうと上半分が美術館で下半分が図書館。どのフロアも天窓からの光が感じられる開放的な構造。一目で、とても気に入った。まずはガラス美術館へ。
ここでは渡辺知恵美と小島有香子の作品がよかった。フロアを降りて図書館に移る。
この街に着いてまだ1日だが、僕はとてもゆったりとした気持ちで過ごしている。東京とは違い、行動に余裕がある。ふらっと茶屋に入ったり、路面電車に飛び乗ったり、それは旅先の旅行者ならではの行動とも言えるが、それにしたって、東京では常に人の目や全体の流れを気にして生活をしている。常に心のどこかでは渋滞的なことを気にしている。都市とは過密していくものだろうが、いくらなんでも東京のそれは度を超えている。ニューヨークに行ったて長閑さを感じられるくらいだ。
そんなことを考えていたからか、いい本がすぐに見つかった。『余韻都市 ニューローカルと公共交通』。手にとって閲覧室に持っていく。これがまた窓が大きくて素敵な閲覧室なのだ。猛烈に勉強している学生の隣に座って、小一時間、ざっと読んだ。
熟読したわけではないから簡単に。以下の疑問から論考は始まる。
きっかけの疑問1
〈都心で舞台や音楽を劇場で鑑賞してからの帰路の電車が混んでいて、せっかく盛り上がった気分がしぼんでもったいないのでは?〉
簡単にまとめる。東京は余裕がない。遊んでも、だれもが帰りの混雑のことを考えている。それは文化的にさもしいことである。翻ってニューヨークやロンドンはどうだろう。やはり東京よりも市民がスポーツ観戦や演劇観戦を日常的に楽しんでいる。観劇後のパブでのビールが人を癒す。もっと余韻を楽しめるような街づくりとはなんなんだろうか。例えば、LRTを利用した地方都市の街づくりなどで面白い取り組みがある。など、これまでの日本の都市の「通勤」のための街づくりとは異なる可能性を探っている。
なるほど、余韻か。面白い。気づくと15時を過ぎていた。本を返却して、街へ出た。富山市科学博物館のプラネタリウム上映の時間が近い。急いで走って間に合わせた。
昨日と同じプログラム『まだ見ぬ宇宙へ』を観た。今回は寝なかった。138億光年のスケール感を視覚的に捉えさせてくれるいい映像だ。しかし、138億光年のスケール感を捉えようとした僕は当然心細くなった。宇宙が大きすぎる。自分が小さすぎる。本当に頭が狂ってしまいそうになる。
閉館の17時まで過ごして、帰路に就いた。
途中、アーケード街の「地場もん屋」というスーパーで、遅い昼食を買った。たらの唐揚げ、鱒寿司、いわしおにぎり、ミニトマト、みかん、バナナ。郷土料理と生野菜、ないしはフルーツ。完璧だ。
それらを片手に下げ、そのまま宿まで走った。ざっと見、八百屋の小僧の使いっぱしりである。トータルで9キロのランだった。
ホテルの部屋でそれらを食べ、そのあとで寝た。(追記 地元の惣菜はとても美味かった)
21時ごろ、ホテルを出てアーケード街へ夜の散歩。いい店があれば食事をするつもりだった。富山駅から路面電車に乗った。
ところが、昼間はあんなに賑わっていた繁華街が淋しい。300メートルぐらいのアーケードは僕の他には2人のサラリーマンが歩いているだけ。試しに路地に入ってみると、そこは花街。こういうのは興味ない。しかし、どこの都市も花街だけは盛んだ。全国でどれくらいの経済規模があるのだろうかと気になる。
なかば諦めて、宿の方へ歩いて帰った。夜の冷たい空気が気持ちよかった。旅先の、犬の時間は、嫌いではない。森山大道、的なやつだ。鼻を頼りに食べ物を探す。見つからないこともある。宿への帰り方はわかる。
交差点で出張客と思しき男2人の会話。
「さすがにラストオーダー10時はやばい」
「いや、なんかしらはあるっしょ」
ないよ。遅すぎる。
宿についた。コンビニでヤクルト1000とドーナツを一つ買ってきた。みかんだってある。充分だ。
風呂に入って本を読む。町田康の『口訳 古事記』。


