仕事のあと、二子玉川で髪を切った。
不動前のマコさんの店に顔を出すことにした。ちょうど店も開いた頃だろう。ここからなら近い。
30分足らずで着いた。かむろ坂を登ったところにある。「Bar Oh!Baby」だ。
「おーう、久しぶり!」と、マコさん。
「ソフトドリンクなんですけど、いいですか?」
「もちろん」
この店のウィスキーの品揃えには通も唸るはずだ。目の前に並んだシングル・モルトのメロウな誘惑に、頭がクラクラする。
静かな店で、RCサクセションの初期のシングル曲に耳を澄ます。リマスター版のCDをまともなオーディオ・システムで聴くと、このバンドの演奏と歌唱の上手さが際立つ。僕がRCサクセションを好きなのは、なにより演奏に手を抜いていないところなのだ。それは初期から一貫している。だから、真剣に聴くととてもいい。ロック・バンドだからと言って、演奏を”ぐしゃ”っと誤魔化してしまうのはよろしくない。音楽は元来、美しくないと人に響かない。
マコさんは、僕の酒断ちをどういうわけか応援してくれているみたいだ。願いが叶って最初に酒を飲む時は必ずこの店に来よう。マコさん、この店、10年は続けてくれ。
21時半ぐらいに店を出た。ここまで来たら目黒はすぐそこだと思って、ヨーコさんの店にも顔を出すことにした。権之助坂の<Time Out Meguro>だ。駐車場にクルマを停めて坂を登っていったら店は休みだった。臨時の長期休暇のようだ。仕方がないから西荻に行くことにした。
西荻の地下の赤い扉を開けるとカウンターには男女が並んで座っているだけ。や店主に目礼して男の二つ隣に座った。
「おう」
「どうも」
「おまえ、CD持ってきてねえじゃねえかよ」
ずっと借りたままのCDがあるのだ。
「すいません、来るつもりじゃなかったから」
「なんだ、こんな時間まで仕事かよ」
「いえ、私用を済まして目黒から来ました」
「さては淋しかったんだな! たはは!」
こりゃまいった。
大学生のH君が言うように、こうして夜の街に出るのもすこしは必要かもしれないな、と思う。
店主が隣の男を紹介してくれた。映像監督のSGさんだという。歳は僕とそう変わらなそうだ。その奥に座っているのがZKさんで、SGさんのパートナーだとあとで教わった。
彼らは僕にタバコを4本恵んでくれた。SGさんのアメスピを2本と、ZKさんのハイライト・メンソールを2本。久しぶりに吸うタバコの美味いこと。タバコのお返しに一杯ずつ酒を呈上した。原始的なコミュニケーションが愉快だ。
彼らはまだ電車のある時間に帰った。
今度はヤスさんがやってきた。しばらく3人で話す。音楽のこと、AIのこと、戦争のこと。僕が相変わらず俳句をやっているという話の流れで、店主が一冊の本を僕に差し出した。
「おまえ、編集者のMちゃんって知ってるだろ。あの子、今度、短歌の本出したんだよ」
本のタイトルは『野球短歌』。著者は池松舞。
──いつまでたっても阪神が勝たないから、短歌を作ることにしました。
阪神ファンでありこの店の常連でもあるMちゃんこと池松さんが、2022年、開幕から連敗が止まらないタイガースを見て、ふと作歌を思い立ち、そのうちにじわじわとネットで話題になり、書籍化されたらしい。日付と勝敗と短歌が時系列で並ぶシンプルな作りだ。どの歌も、野球ファンには痛いほどわかる。その歌を読めば、どんな試合だったかが想像できる。
本を読みながら、つい喋りすぎたらしい。僕は感動したのだ。店主のいつものスイッチが入った。
「おめえは、そうやってぶつぶつうるせえんだよ、いいもんはいいんだから、いい、って言ってりゃいいんだよ」
韻を踏んでいるのか……やり返してやろうかと思ったが、5秒ほど堪えた。アンガー・マネジメントだ。
「まあ、たしかに、そうかもしれないですね」まあ、そんなわけはないが。
しかし、だ。僕もこの歳になると、叱ってくれる人というのがそうはいない。例えこのような「暴言」だとしても、もしかするとこれは有難いことなのかもしれない、と思ったのだ。暴言には違いないが。
「そうかもじゃねえの! そうだっつってんだろ!! 上から見てんじゃねえよ、おめえは。おまえにしてもOにしても、そんなんだから自分の作品ができねえんじゃねえのかよ。馬鹿野郎が。上から見てんだよ」
ある意味では真実だとも思う。くそじじいが、ぼけ。と、心の中でやり返した。
「いやあ、君にはそのままでいて欲しいなあ。あれだな、ロマンチシズムってやつだな。いいじゃない。あははは」とヤスさん。俺はあんたが好きだよ。
とはいえ、である。なんか癪だからやってやる。こっちだって酒も飲みたいしな。
