仙台の宿に着いたのは、日本シリーズ第6戦のプレイ・ボール直前だった。もう少し早く来て休みたかったのだが、つい浜通りで長居してしまった。
夜明け前に常磐道に入った。朝の濃い霧の中を北上し、いわき四倉インターで降りた。そこからは国道6号線を仙台方面に進んだ。
この道は浜通りの大動脈で、福島第一原発の横を通る。僕が来るのはこれで4回目か。初めて訪れたのは2015年の5月。そのときは常磐線がまだ不通で、原発付近の区間は代行バスで国道6号を抜けた。車両はひたすらに通過することを求められる。信号はすべて青だから不要な停車は許されないし、脇道はすべて閉鎖されていた。警察車両が車線を一定間隔で行き来し、通行のペース・メイクと警戒にあたっていた。車窓から見える光景はゴースト・タウンそのもの。地上の人工物は放っておけばすぐに植物に覆われるのだ。植物は何千年、何万年もかけて土になって、やがて建物が埋まってしまえば、それは先の時代の人から見ると古代の遺跡になるのだろうか、などと考えたものだ。
今日通ってみると、廃墟の解体がだいぶ行われたようで、異様な雰囲気は薄らいでいた。それでもこの道に来ると、いつも緊張する。目に見えない放射能を怖いと思う。
11時ごろ、国道沿いの中間貯蔵工事情報センターに入った。その名のとおり、除染土の処理の過程について学べる。客は僕しかいなかったので、職員からたっぷりと説明を受けた。原発周辺の広大な処理場の様子を、ドローンから撮った写真と映像で確認できる。
昼過ぎに東日本大震災・原子力災害伝承館に移った。ここに来るのは2回目だから、館内の展示は適当に見た。ここの展示は過度な演出が蛇足だ。だが見るべきものはある。
しかし、常設展の外で行われていた読売新聞写真部の展示がよかった。とてもよかった。広角レンズでただ状況を捉えた写真のなんと素晴らしいことか。どの写真も胸に迫るものがある。職業カメラマンの一人として頭の下がる思いだった。涙が自然と溢れた。本当に素晴らしい仕事の数々だった。
施設内の資料室では土田ヒロミの写真集『フクシマ』を手にとった。写真もいいが、著者のテキストが秀逸。原発事故を端的に表している。
最後に震災遺構浪江町立請戸小学校へ。津波で流された土地にいま立っても、かつての漁村の賑わいを想像することは難しい。しかしここに来ると、小学校を媒介にして、かつての暮らしを感じることができる。小学校があるということは集落があった、ということなのだ。当時の在校生が10年後の2021年に書いた文章が、20人分ぐらいだろうか、展示されていた。これが抜群にいい。津波と原発事故で突然故郷を失くすとは、どういうことかなのかと感じとる。
そして15時を過ぎた。仙台に向かった。
夕暮れの常磐道から見た、仙台空港の離陸機が美しかった。その先に山に抱かれた都会が浮かぶ。この景色が気に入った。
早く寝るべきなのだが、日本シリーズをゲーム・セットまで見てしまった。山本の完投勝利。決戦は7戦目だ。


