B.B. KING 「Everyday practice」

高校を卒業した年の秋、アルバイトで貯めた金(30万円ぐらいだったと思う)とギターを持ってアメリカに渡った。その頃のぼくは、音楽の世界で生きたいと、漠然とした夢を抱いていた。アメリカやイギリスのロックが好きで、そのルーツのひとつであるシカゴ・ブルースを学びたくて、とりあえずの行き先をシカゴに決めた。

それは初めての海外渡航であり、初めての一人旅だった。その事実にシカゴの空港に降り立ってようやく気がついた。その晩、泊まる場所も決まっていないような状態で、なんとかダウンタウンまで辿り着き、『地球の歩き方』に載っていたユース・ホステルに何日か泊まった。その宿でYさんと知り合った。Yさんは日本から来たフリーランスのフォトグラファーで、当時27歳ぐらいだった。アメリカを一周しながら写真の作品制作を行なっているという。シカゴのあとはニューヨークに行くから一緒に行かないかと彼が誘ってくれたから、ぼくは同行することにした。シカゴの街は何日も歩き続けてすでに飽きていたし、何かをしなければと焦っていた音楽活動の方も、まるできっかけを掴めないでいた。そんなぼくにとってその誘いは魅力的だった。

ニューヨークへはグレイハウンド・バスで向かった。途中のナイアガラの滝の町で二泊した。アメリカ旅行の先輩であるYさんと数日間の移動を共に過ごす中で、ぼくもすこしづつ旅に慣れてきた。それに、いくつもの風変わりなカメラを扱う彼の撮影を眺めているのも面白かった。今となればあれは、ハーフカメラ・35mm・ブローニー・パノラマと、フィルム・フォーマットの違うカメラを持ち歩いていたのだとわかる。彼はそれらをすべて首にぶら下げて旅をしていたのだ。腰につけた旧式の露出計や、新品のフィルムと撮り終えたフィルムでいつも膨らんでいたズボンのポケットなんかがカッコよかった。ニューヨークに着いてYさんとは別れた。東京で会おうと約束して、それからいまでもYさんとの付き合いは続いている。

ニューヨークではぼくも活動的になった。見るべき場所が多いから暇を持て余すということがなかった。これは助かった。何かをしようと意気込んで渡航した先で退屈をすると、後ろめたい気持ちになるものなのだ。それに周りを見れば誰もが外国人といった雰囲気のこの街は気楽だった。

街角や地下鉄には演奏しているミュージシャンがたくさんいた。なにしろその数が多いから、ぼくが知った顔をして空いているスペースで演奏を始めても大丈夫そうだった。意を決して日本から持参した電池駆動の小型アンプにギターを繋げて弾いてみた。最初は地下鉄のホームだった。小さい音で弾き始めたのだが、列車の轟音にかき消されてしまう。それでも演奏を咎められるような気配がないことはわかった。いよいよアンプのボリュームを上げて弾いた。すぐに1ドル札を投げてくれる人が現れた。それから昼間は毎日地下鉄で弾いた。ジャマイカ人の路上ミュージシャンと仲良くなって、滞在中は何度か遊んだ。地元のバンドのスタジオ練習にも招かれてセッションもした。なんていい街なんだと、ぼくは有頂天で過ごしていた。

ある日、B.B KINGの公演があることを知って、ブロードウェイ近くのクラブに行った。店に入って最初に通されたのはステージから最も遠いバー・カウンターだった。しかし、このころのぼくはちょっとした躁状態だったから、すぐさまウェイターに交渉をした。ステージ前の四人席の一つが空いている、そこに座らせてくれないか、と。ウェイターはすでにその席に座っている3人組のご婦人たちに確認してくれた。そしてぼくはその席に招かれた。手の届く位置にB.B KINGのマイクがセットされていた。

目の前で聴くB.B KINGのギターと歌声はすごい迫力だった。なにしろ歌っている巨漢がすぐそこにいるし、ギター・アンプの音が会場のスピーカーを通さずに聴こえてきた。ホーン・セクションも入った編成だったが、B.B KINGの音の存在感は終始圧倒的なものだった。これがアメリカのバンドのボスか、と妙に感心した。そして最後の曲を弾き終えると、彼はピックを僕に差し出してくれた。そのピックは一辺が大きく削れていた。こんなに強くピッキングするものなのだと知り、すぐに真似をした。ピックも同じような硬さのものをニューヨークの楽器屋で買い求め、強いピッキングに対応できるように弦も太くした。それは今でも変わっていない。その結果、細い弦を張っている他人のギターを借りると1弦をすぐに切ってしまうのが困るのだが……。

終演後、B.B KINGのライブの慣例なのか、どうやら楽屋でファン・サービスが行われるらしかった。周りに習って列に並んで、楽屋に入り、一緒に写真を撮ってもらった。つたない英語でなんとか必死に話した。ぼくが東京から来たというと、とても珍しがって喜んでくれた。

あの旅から17年経つが、いつ振り返ってみてもこの夜の思い出が、旅のハイライトとして記憶のなかに輝いている。音楽体験としても強烈な印象だったが、図らずも写真体験までこの夜に得た。旅の中でYさんと出会ったことで、ぼくは写真を撮るということを意識していた。

この写真はぼくが意識的に人物を撮った最初の写真だ。自分でもいい加減に呆れてしまうぐらい阿呆を繰り返しているが、ことあるごとに、この写真を撮ったときの気持ちを思い出してなんとかやっている。すぐにはよくならないかもしれないが、すこしずつはよくなっている、と自分に言い聞かせている。あの夜、B.B KINGが楽屋で言った言葉が忘れられないのだ。「Everyday practice」と、彼は言った。17年が過ぎても、忘れるどころか、よりその意味がわかるようになってきた。

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