パンデミック下で迎える3度目の春である。中国の武漢でcovid-19ウイルスの流行が明らかになったのは2020年1月のことだった。その翌月、横浜に帰港したダイヤモンド・プリンセス号で件のウイルスによる集団感染が発覚したことで、国内でもこの感染症が連日のトップ・ニュースになった。しかし、その時点では専門家以外で強い危機感を持っていた人はそれほど多くなかったのではないか。それからあっという間に世界中にウイルスが拡散し、人と会うことを制限され、そしてそれが2年経ったいまでも出口が見えないことになるとは、誰に予想できたであろう。僕も一昨年の春の時点では、数か月の我慢でなんとかなるものだと楽観的に考えていたと思う。ところがそうはならなかった。ウイルスの変異が相次ぎ、感染者数だけ見れば事態はさらに悪くなっている。ワクチンの接種は進んだが抗ウイルス薬は実用化されていない。まったく先行きの見えない閉塞感が社会全体を覆っているように感じる。
新聞などで学生の学校生活の記事を読むたびに胸が痛む。部活動の大会や行事の中止が相次ぎ、当たり前の学校生活が送れない。彼らにとってはその時でなければできないことなのだ。病院や施設で過ごす人に面会できないというのもつらいことだ。この年始に僕の祖母が鬼籍に入ったのだが、最期が近くとも容易に会うことができなかった。むしろ祖母が弱っていたからこそ面会を控えなければいけなかった。ウイルスという、寄生する宿主がいなければ増殖できない相手に社会全体で対処するには、人同士の接触機会を減らすしかない。その方策は理解できるのだが、人に会えない、ということへの対応を誰もが知らないまま事態が突然起こってしまった。
パンデミックによって得られた利点も少なからずあった。会いたい人に会えない反面、自由な時間を得られた。つい朝までバーで飲んでしまって二日酔いで翌日を過ごす、ということもない。これもやはり時間を得られる。酒代も手元に残る。そして読む本の量が増えた。この2年を象徴する個人的な出来事の一つは松岡和子訳のシェイクスピア全集を注文したことか。打ち合せはオンラインが当たり前になったが、これはデメリットも感じる。やはり画面とマイクを通してでは話が盛り上がらない。話が脱線しない。
そんなわけで家で有意義な時間を過ごしていると実感するが、現実的な問題も浮き彫りになってきた。フリーランスとしての広報がまったくできないことには困った。これまでホームページもSNSもアカウントを持ってはいたが、自らの情報発信には活用してこなかった。それから、通知に反応するのがわずらわしくなってLINEもアカウントを消してしまった。便利なメッセージ・アプリではあったが、どうも一日中外の世界に晒されているような感覚が厭になった。仕事のやりとりで使っているメッセージアプリだけを残していくつかのアプリは消した。そして僕のデジタル・デバイスの通知は格段に減った。
図らずも僕は事実上の隠居状態になってしまった。たまに姉から僕が生きていることを確認するためのメールが届く。僕が元気なのか、何をしているのか、だれにもわからないのだ。もちろん仕事のためには外出をする。自宅からクルマを走らせて東京まで出て、仕事が終わるとほとんど寄り道もせずに海辺の町まで帰ってくる。鉄道もバスもタクシーも、この2年のあいだ一度も乗っていない。酒を飲む用事がないからどこへ行くのも自ら運転する。仕事中はもちろん多少の会話をするが、マスクをしているから話しづらい。仕事のあとで仲間と食事に行ったりもしないからコミュニケーションは浅いレベルに終始する。そんな具合だから仕事の関係者との仲が深まるわけでもなく、なによりの問題はほとんど新しい知り合いができないということだった。
そこで広報や営業のためのツールとして、このホームページを作ることにした。写真を掲載することに加えて、僕自身の現況や性質が伝わるものにしなければいけない。パンデミックで損なわれた人とのコミュニケーションを補うことが目的だからだ。写真と文章を中心として、とりとめなく料理が盛り付けられたプレートのようになればいいとイメージしている。
ホームページの構築にあたって過去の写真や日記から適当に抜粋したものを投稿して体裁を整えた。この作業は今後もしばらく続ける。そしてこの2022年の3月からは、日々の撮り下ろし・書き下ろしを随時加えていくつもりである。