昨日の東京新聞の一面は神宮外苑の再開発承認の記事。
僕はそれなりに熱心なスワローズ・ファンである。パンデミックの前の2019年シーズンまでは毎週のように神宮球場に通い、ナイターを観た。内野席と外野席のどちらに座るかはその時々ではあったが、最も好きなエリアはスワローズ側のブルペンに面したスタンドのずっと上の方である。
そこから観る夏のナイターは、ちょうど新宿のスカイラインに日が沈みながらゲームが進み、空とスタンドの照度が逆転していくマジックアワーが美しい。夕暮れの空の下でビールを飲みながら野球を観られるのだから幸せである。
空が暗くなると、今度はホームランの放物線がいい。神宮外苑のだだっぴろい森が作り出す、都心とは思えないような空の暗闇に、打ち上がった白球が吸い込まれていく。夜空に舞う打球は重力を忘れさせる。やがて外野スタンドに打球は落ちて、人の群れが弾けて揺れる。スタジアムが喝采に包まれる。これはドーム球場の白い天井では味わえない視覚的なドラマである。
記事によると、幻となったザハ案の国立競技場は高さが70メートルに及び、周辺の歴史的景観と調和しないため却下されたとも書かれてある。隈研吾案では高さを抑えることに最もこだわったと建築家本人の言葉もある。それが今度はわざわざ樹木を伐採して高層ビルを何棟もたてるというのだから呆れる。
僕たちにできることといえば、消えゆく情景を思い出として語ることぐらいなのか。巨大なシステムの前に無力を感じることがあまりにも多い。